配電盤よ、安らかに

85%フィクションと15%の今はもう失われたもの

「愛はここに 神はあなたの中に」  そこで途切れてる

じゃあ、乾杯しましょう、と山内さんが言い、何に?と久野さんが言う。そうねえ、インターネットにかしらねえ、と山内さんが答える。
それでは、インターネットに乾杯。

33歳になって、15歳の頃からの知り合いと久しぶりに会うことへの不安は大きかったけれど、会ってしまえばどうにかなるものだな、と思う。僕達が最後にリアルで会ったのは、確か僕が大学卒業の年だからそれからだってもう10年以上経つ。何もない田舎の地味な高校生として在り来りにも閉塞しきっていた僕は、唯一外に開く扉みたいに見えたインターネットに青春を捧げてた。そんな終わりなき日常(第一幕)もあっさりと終わりを告げ、大学に入って東京に出てきて、少しずついろんなもののやり方に慣れた。物事の運び方にも慣れた。あの頃より、ずっと、息を吸って吐くのは楽になっていて、その代わりに何にもなれない大人というものになって、こんなところにいる。

今日集まったのは、山内さんと久野さんと坂井君と由貴ちゃんと僕の5人だった。あの頃は、年が3つも離れていたのは本当に大人に見えて「年が離れた友人がいる」くらいに思っていたのに、今では完全に同年代だ。僕と坂井くんは、たまに一緒に提携して仕事をしたりすることもある程度には近い同業他社のエンジニア同士であることがわかり、「おしごと」の話の真似事をしてみたりする。探りあいをしながら、少しずつ階段を降りて行ってる気分だ。

この階段の繋がる一番下の暗い地下室で、ランプ一つだけを灯して、朝まであれこれ不毛な議論をして、吸い慣れない煙草に火をつけてみたりした日を、覚えているかしら。或いは、けっして繋がれるわけのない君に手を伸ばすように、窒息しそうな日々の中で必死で言葉を綴ってみたりした日を、覚えているかしら。

でも、本当に、あの頃はすごかったよね。なんだかさ、顔が見えない相手と言葉を尽くしながら何年も何年も毎日話して仲良くしていたから、不思議な感じだったよね、と山内さんが言う。そうなんだよね、なんだか性別も見かけも全部関係なしに、頭の中身がそのまま接続されているような感じで互いが理解できるような感覚がものすごかったから、私あのあと「他者と理解しあう」ことへのハードルが異常に上がっちゃって苦労したよ、と僕は答えた。

うん、それは、わかるな、今でも文字の方が伝達しやすいって思うと久野さんが言う。
そりゃあ、久野さんはわかるだろう、と僕は思う。

 会っちゃう前のインターネットって不思議空間だから、特にそれについて明示的にコメントをしたことがあったわけじゃないけど、僕は周囲から男の子だと思われてた。まあ、もちろん、それについて訂正を積極的にしなかったのは、僕が日常生活において、僕に自動的に割り振られた役割であるところの「村人1」の真似事をするのにすっかり疲れていたので、わざわざ自ら役割を振り直し正しい喋り方をするように改める、という行為をしたくなかったっていうのはあるけれども。

僕は同い年の久野さんとは本当に仲が良かった。仲が良いとかを超えていた。あのICQの頃から20年近く経つわけだけど、あんなに言葉というものが染み伝わるんだと感じたのは後にも先にもない。インターネットは夜の海みたいで、久野さんの小さな手を離さないままゆっくりと沈んでいくような気分だった。水面にゆらゆら揺れる月が見えた。

久野さんは、僕を好きなのかなぁと思っていた。だからこそ、今更僕が、実際のところセーラー服を着て登校している立場であることを明かすのは恐ろしかった。片道3時間もかければ会える距離だったから、いつ「会ってみない?」と言われるか慄いていた。けれど、出会って3年経ってもそんな提案は持ち上がらなかった。会ったら魔法が解けてしまうのが、きっと久野さんには伝わっているんだ。

センター試験の一日目の夜に、数学の過去最低得点を見事本番で更新した坂井くんが、受かって、東京に出れたら会おうと言い出し、そのあまりの悲痛さに全員が同意した。
もちろんその後坂井くんが合格した時の僕の気持ちは「これは参ったな」であったが、一方で、ここで会わなければもう会わない気もしてたから、正念場だな、と思った。

横浜の人形前で待ち合わせしたので、僕は今も横浜に行くたびにその時の気持ちを少し思い出す。18時はまだ明るくて、声をかけてきた女性が山内さんなのはひと目でわかった。久野さんですか?と問われたから、違います。菅野ですと返答したら、山内さんは目をまんまるにして、あらまあ、女の子だったんだァ、気付かなかったと笑った。僕は、久野さんはまだ来てないってことなんだなと思い、周囲を見回した。

こちらに向かう男の子と目が会う。

アッと小さく互いに息を飲んだ。一目見た瞬間に、わかるという自負があったし、事実わかった。ああ、なるほど、という思いが広がる。ああ、なるほど、こういう形で現実と乖離してるからこそあんなに深くまで沈む感じがしたんだ。

その後、大学が始まると共に、どちらともなく少しずつ距離があいた。僕も、山内さんみたいに、言えば良かったんだろうか。あらまあ、男の子だったんだァ、気付かなかった、と。言えるわけない。本質的に言えばそれはどちらでも良いことだったのだけれど、一方で一目見た瞬間に、僕はいずれ久野さんになりたくなってしまうことがわかった。いずれにしても、僕が、この役割からも身体からも逃れられないのだということを見せつけられることになる。あんなに溶けるように理解し合えるなら、僕たちは互換性があるような夢を見てしまう。そんな事態になるくらいなら、夢から覚めることを選んだほうがよっぽど良い。

それから15年経った今日、急にいなくなるから心配したけど、ちゃんと生き抜いていたらいいなと思っていたよと久野さんが言う。変な感じ。どこを?平坦な戦場を?と尋ねたら、懐かしそうに目を細めてそうかもねえといった。君は知らないだろうけど、君がいなくなってから、随分神様に祈ったものだよ。昔はねえ、インターネットの神様というのがいたんだよ、今はもういなくなってしまったと久野さんがいうのを聞きながら、そういえばエーテルは、雲や月、神の支配する領域を意味する言葉だったと思い出していた。目が覚めている自信なんて、ずっと無い。