配電盤よ、安らかに

85%フィクションと15%の今はもう失われたもの

Merry Christmas,Mr Lawrence

僕だって、こんな風になるなんて、どうしてなのかわからないし、僕が狂っているのか相手が狂っているのか解らないようなことなのだけれど、僕 の存在を、生きる尺度みたいにしてる人が何人かいるのはわかってるから、それに恥じないように生きたいと思う。それでいて、僕は僕が許されざる悪だと思っ ている。

まるで意味を成さない贖罪行為。


だけど、まるで内面における良心のように、「このことについて、君ならなんと言うだろうか。これを良しと言ってくれるだろうか」という形で反芻して生きてる人がいるんだと、思わせてくれよ、そうでなければ、一人はつらすぎるだろう。


強く高潔でしなやかな生き物になりたい。

僕は老いていくけれど、彼らを置いていくけれど、違う星でテレパシーを飛ばすみたいに伝わりあいたい。


僕の声は届くのか。愛の伝播距離は何キロメートル?DNSも彼のいる場所の名を知らないのに、愛し合えるのだろうか?


高校生の時に「宗教を開けば?」って言われて、言われる理由が分からないまま森の中をぐるぐる迷って、オトチに帰りたいまま。

27歳になってもまだ死にたい病が治らない僕は、僕の愛した人が僕のことを忘れられないように罠ばかり仕掛けて、姑息な神様にでもなる気なのか。

僕がしてることは啓蒙でも愛情でもなくて、僕という人間の歪みを僕を中心に同心円上に拡大して飲み込んでしまうようなこと。


僕の16の時からの妄想は、会えなくなって10年も経った雪の日に電話が急にかかってくるようなこと。

誰から?誰からかはもう解らない。

けれども、電話は来る。くるから、とんでもないんだ。