配電盤よ、安らかに

85%フィクションと15%の今はもう失われたもの

あたりまえ、ってあの夜に、彼は言い、 世界ってなに、あたしが言った

あの雪の日にトーマが陸橋から飛んだ時から、私の愛情というものは定義されてしまった。まだ色つきじゃない既成概念なしの子供だった私は、右手と左手のつながっているような幼い手袋をして、白い息を吐きながら雪虫を目で追って走った。じきに冬が来るだろう。あの小さなトーマが残したように、愛というものの実在を信仰して生きなければ、寂しすぎる、と吐く息の数を数えながら私は思う。透明な何かに向かって、身を擲つような愛があると仮定した世界に生きていくのだ。その頃私は、3歳の頃から信じていた神様の不在への疑念に心を痛めていたから、新しいものを信仰したかったのかもしれない。存在するかわからないものを存在すると規定した世界で生きていきたい。世界が実在するかも解らないのだから、確かにあると規定したものがある世界で生きていきたいの。強く信じていたらきっと、私のことを忘れないでいてくれる人がいるに違いない。忘れられない人間になりたいんだ。彼の目の上に、永遠に生きる。私の中の大事な人を忘れないで生きる。きっと、これからだってずっと。

25にもなった自分は、もうすっかり大人になってしまったけれども、半透明で不確かな膜に包まれた架空の世界を手探るように生きている。
あの人は私が仮定した実在、規定した信仰。
私の定めた確からしさの指標。
暗闇の先の霞むような光。
彼ならこの行いをどう思うだろうか、と思いながら生きると言うことに慣れきっている。そんなものは本当は実在しないことを知っている。でも、仮決めでも神様がいないと、辛すぎるってだけにすぎない。


久しぶりに会った彼は、昔と変わらないようにも見えた。「なんでいつもそんな暑そうな格好をしてるんだよ」といって彼が笑う。『いつでも酷く寒いんだよ』と私は答えて帽子を目深にかぶる。あの冬の日の冷気を少しいつも持ってきてしまっているみたい。
私たちは、1年に1回彼の誕生日に会っては、ただ東京砂漠を歩いて歩いてカフェにたどり着いて、本屋にたどり着いて、解散するだけ。なんなんだろうね、こういうのって。15歳を引きずりすぎてるんじゃなかろうか。
私の幼な友達でもある特別なこの彼が、永遠に私の神様でいてくれたらなぁって思うし、それはきっと無理だろうとも思っている。信仰とは移り気なものなのだ。ただ、最後の日にも忘れられたくないと思う。きっと、消えないように傷つける以外、忘れられない方法なんて無いと今ではわかっている。

同じ本を取ろうとした指先が触れて、そんな熱に意識がいく。
僕らの愛の仕草のデフレ。
まるで子供みたいだ。
不当に高く評価された接触。
「これは実在しないことだよ」と耳元で囁く声がする。
私は耳を塞ぐ。

 

本当は私だってこんな年齢まで生きているはずじゃ無かったし、彼のように陸橋から飛べば良かった、いつだって。
目を瞑ってあの雪の日を思い出す。
最後まで、優しくありたいと思う。
最後まで優しくある私を、あの人が忘れられなくなれば良いと思う。私の神様を、甘やかしてスポイルして一人では生きていけないようにしてしまいたい。優しくて見苦しい私を君が見破ったら良いのにと思う。いいや、違う、君はきっと知っているのだろう。君はきっと、諦めの悪い私が見ようとしないでいる本当のことだって知っているのに違いない。
煙草の煙が空に上がっていくのを目で追う。彼もあんな風に空に上ったんだろうか。「みんなどうやって生きて行ってるんだ」と口に出していってみる。みんな、どうやって生きて行ってるんだろうな、本当にさ。